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アスリートからの伝言

考えることが
夢をかなえる第一歩

ラグビーを極めて
見つけた
スポーツの本質

元ラグビー選手石川 安彦

見るからにラガーマン。鍛え抜かれた大きな身体から発せられる圧倒的な熱量は指導者となった今も現役選手そのもの。小学6年生のときにテレビで見た早明戦に心奪われて以来、ずば抜けた身体能力と才能を武器にラグビー一筋に歩んできた。20年以上にわたる選手生活の中で何を感じ、何を学んできたのか?選手としての歩みを振り返りながら、今、指導者としてたくさんの子どもたちに伝えていきたい「スポーツの本質」について聞いた。

こんなスポーツがあったのか

「自分で言うのもなんですが、身体能力が尋常じゃなかったんです(笑)」と、自らの子ども時代をそう振り返る。山梨県で生まれ育った3人兄弟の末っ子、小さな頃からスポーツ万能で、言わずと知れた怪物だったという。「走ってよし、重い物を持ち上げてよし。本当に何をやらせてもズバ抜けていたので、自分にできないことは何もないと思っていました。」そんな少年がラグビーと運命的な出会いを果たすのは小学校6年生のときだった。

「ある日、何気なくテレビを見ると関東大学ラグビーの早明戦が放送されていたんです。そこで最初に目に飛び込んできたエンジと黒のストライプ、早稲田のシンボルカラーでした。その瞬間になぜか心をぐっと掴まれましたね、めちゃくちゃかっこいいって。いつか自分もあの色のラガーシャツを着てプレイしたいと強く思ったのが私のラグビー人生の始まりです。」 

そしてもうひとつ。石川少年を魅了したものは、国立競技場の大観衆の中で大きな男たちがぶつかりあって熱戦を繰り広げるその勇ましさだった。「当時はサッカーをしていたのですが、自分の運動能力には自信があったし、大の負けず嫌いという性格もあってペナルティエリアでも関係なく相手にガンガン当たっていくタイプだったんです。そのことでコーチにもよく叱られていましたし、ペナルティも多くてかなりフラストレーションが溜まっていました。ちょうど身体がどんどん大きくなってきた頃で、元来の気性の激しさと重なってエネルギーが有り余っていたんでしょうね。そんな時にラグビーを見たのでまさに衝撃でした。こんなスポーツがあったのかと。小学生ながらこれは自分に向いていると確信しました。」

その日から自主トレに励む毎日がスタートする。「頭の中はラグビーのことでいっぱいでした。中学校にはラグビー部が無かったので、サッカーを続けていたのですが、もう完全にラグビーの体力づくりためのサッカーという感じでやっていましたし、家でも父からラグビーを高校から始めるならトレーニングをしろと言われて、毎日5キロを一日も休まず走っていましたね。」

ラグビーがしたいのにできる環境がない。そんなジレンマをモチベーションへと導いたのは父親の存在が大きかった。「ある日突然、父がトレーニング機器を買ってきたんです。そして家を増築してトレーニングルームを作ってくれました。父は、何かスポーツをしているわけでもないし、そんなに簡単に増築するほど裕福でもありません。でも、とにかく中途半端なことが嫌いな人で。ラグビーは激しいスポーツだから気軽にできるものじゃない、やるんだったらとことんやれと言って応援してくれました。」

家族のサポートを受けながら毎日努力を重ね、ラグビーの強豪・山梨県立日川高校へと進学。15年連続で全国大会に出場する名門ラグビー部には約70名の部員が所属していたが、入学2週間にしてレギュラーに抜擢される。怪物・石川安彦伝説の幕開けだった。「周りはコイツ一体何者だ?と言う感じでした。でも高校からラグビーを始める人が多い中、私は中学時代に基本的なトレーニングを積み上げてきましたし、ほら、そもそも身体能力が尋常じゃないから(笑)。プレッシャーとかはまったくありませんでしたね、よし、やってやるぞという気持ちしか。」その言葉通りに生来のラガーマンとしての才能が一気に開花する。

高校時代の目標は、ラグビーの聖地・花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)で日本一になること、そして高校ジャパンの代表選手に選ばれることだった。全国優勝こそ逃したが、怪物の名は瞬く間に全国へと知れ渡り、2年生にして日本代表の切符を手に入れる。「嬉しかったですね。はじめての海外でもあるイギリス遠征を経験できたことも大きな刺激になりました。空港からの移動中、ラグビーポールが立っている芝生があちこちにあって、子どもたちがラグビーをしている景色を見て日本との環境の違いを実感しましたね。もちろんラグビーがイギリス発祥の国民的スポーツであることは知っていましたが、実際の人気ぶりを肌で感じて、いつか本場のイギリスのチームでプレイがしたいと強く思いました。」

スター選手としての華々しい高校時代、実はとてつもなく厳しい練習に耐えてきたという。「全国でもトップ3に入るくらい練習がきつい高校でした。今では考えられませんが、当時は夏の炎天下でも水を飲むなという時代だったので、本当に辛かったですね。ボールが転がったふりをして溝の水を飲んだこともありました。」そして一瞬間をおいてからこう切り出した。「実は、僕は当時の指導方法については否定派なんです。確かに苦しい思いを強いることで精神力が鍛えられることもありました。けれど、例えば試合で負けたときに、指導者が罰則としてただ「走れ!」というのは違うと思うんです。自分が走り負けたことが敗因だと思うなら、走り込みが必要だから走ればいい。でも、ただ罰則として練習を課すのは違うのではないかと、当時からずっと思っていました。ラグビーを知れば知るほど強く思うようになりましたね。」語気を強めてそう語るには理由がある。この頃に抱いた疑問が、今、指導者として子どもに伝えたい「スポーツの本質」のベースになっているからだ。

「私の考えるスポーツの本質とは、まずスポーツそのものを『楽しむこと』。これが一番大切ですね。自分自身を振り返ってみても、試合で勝ったり、自分が活躍することだけでなく、もっと仲間と共有する時間を楽しめたらよかったなという反省もあるんですよ。もうひとつは『考えること』。強いチームの中で監督に言われるままにプレイしてきたので自分で何かを考える必要がありませんでした。でも、自分たちはどんなラグビーがしたいのか、そういうラグビーをするためには何が足りないのか、そんな風に自分たちで考えながら練習ができたら、それが結局スポーツそのものを楽しむことにつながるし、スポーツ以外の場面でもプラスになると確信しています」