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アスリートからの伝言

あきらめたら夢は叶わない

ロンドンオリンピックの感動から2年。
今、競技人生を振り返って想うこと、
これからのチャレンジとは

元競泳選手寺川 綾

ロンドンオリンピック100メートル背泳ぎで銅メダルに輝いた瞬間、日本中を感動に包んだ寺川綾さん。その清々しい笑顔を生み出したのはあきらめない心だった。173センチの恵まれた体躯と誰もが認める天性の才能、タフな精神力と前向きさ。一見無敵そうに見えるトップスイマーが乗り越えてきた数々の試練とは?昨年現役を引退し、プライベートでは結婚を発表、公私共に新たなステージが始まったばかりの今、夢を実現するまでの想いを語ってもらった。

いつも全力で泳いできた

水泳を始めたのは3才のとき。体が弱かった寺川さんに体力をつけさせようと母親が選んだ先は、オリンピックや世界大会に出場する選手を数多く輩出する名門・イトマンスイミングスクールだった。「子どもの頃から泳ぐことが大好きで、家族で旅行するときは海やプールがあるところがいいと言っていました。イルカのトレーナーとかにも憧れていましたね。とにかく水の中が好きなんです」泳ぐことは歩くことと同じくらい自然なことだったという生まれながらの天才スイマー。

幼稚園の頃には選手育成コースに入り、小学生になると週6回、早朝練習を含めると週8回の練習に励む水泳漬けの日々を送った。「気づいたときには育成コースにいて練習は厳しかったのですが、スイミングスクールの友達と会えるのが楽しくて続けていました。違う学校の友達ができたことも嬉しかったですね」

もともと活発で負けず嫌いな性格だったが、当時は水泳選手になりたいとか、タイムを縮めたいといった明確な目標を持っているわけではなかった。「純粋に泳ぐのが大好きで、仲間と一緒に練習することが楽しかったんです。たまたま選手コースにいるから、練習して試合に出ているという感じなので勝ち負けにはあまりこだわっていませんでした」

そんな寺川さんが、オリンピック選手へと成長するきっかけは何だったのですか?という質問に、ゆっくりとした口調でこう答える。「今、選手生活を振り返っても、いつがターニングポイントだったのか自分でもわかりません。というか、そういう風に考えたことがなかったという方が近いですね。いつもその瞬間瞬間を全力で泳いできたという感じなんです。だから高校2年のときに福岡で開催された世界水泳選手権に初めて出場したときも、選考会を兼ねた日本選手権も、目標タイムを目指して泳ぐことに集中していただけで、日本代表に選ばれたいとは思っていませんでした」

当時、そんな本人の気持ちとは裏腹に、有望な高校生スイマーの出現をメディアが大きく取り上げ、周囲の期待や注目は高まる一方だった。「日本代表に選ばれてから環境が一変しました。選手として注目されるのは嬉しいことですが、自分の意志とは関係なくメダルを求められることや、常に周囲の視線を感じることに、高校生だった私はとても戸惑いました。学校帰りに知らない人から声をかけられたり、サインを求められたりすることが怖かったりもして。選手である以上、楽しいだけでは泳げないのかなと初めて感じた時期でもありました。

将来を嘱望されるアスリートとしてのプレッシャーや宿命を背負いながらも、水泳をやめようと思うことはなかった。「周囲がどんなに変わっても、いつもと変わらず接してくれる仲間たちと、いつもと変わらぬ練習に打ち込める場所の存在は大きかったです。あとはやっぱり泳ぐことが好きだからということに尽きますね」 こうして世界の舞台へと第一歩を踏み出し、翌2002年のパンパシフィック水泳選手権、2003年の世界選手権(バルセロナ)と国際大会に出場、目標は2004年のアテネオリンピックへと向かっていった。