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アスリートからの伝言

様々な経験から生まれたキャプテンシー

日本代表としてその地位を確実にしつつある田中選手であってもチーム解散という大きな流れは止めることは出来なかった。所属するアジアリーグチームへの移籍も考えられる中、あえてドイツ2部リーグの海外チームへ移籍を決めた。その理由について「日本やアジア以外の海外チームのことは漠然と頭の中にありました。学生時代に感じたような海外選手との差を埋められているのか、また自分の実力が海外でも通用するのか、チャレンジしたい。そんな思いが次第に大きくなり、チーム解体という自分ではどうにもならないマイナス体験をチャンスと捕らえ、ドイツ2部リーグ・ESVカフボイレンへ移籍を決意しました」

結果的にはわずか1シーズンの海外移籍ではあったが、多くのことを吸収できたという「海外リーグに参加して各選手のモチベーションの高さに驚かされました。特に2部リーグだったこともありますが、選手全員が精神的にハングリーであること。そして日本の環境がとても整備されていることを実感しました。例えば、海外では試合ごとの移動時間がとても長くバスで何十時間もかかることが多々ありました。しかも体調や食事に関しても自分で管理するのが当たり前。残された僅かな時間をアイスホッケー練習に費やしていましたが、一人一人の選手誰もが文句を言わずチャレンジを続けているその姿勢に共感しましたね。この経験があったからこそ、アイスホッケー日本代表として最高峰のステージに立ち続けることが出来ている喜びを肌で感じられるのだと思います」

海外移籍後、2010年再び日本でのアジアリーグ・東北フリーブレイズへ復帰となったが海外での経験はそのプレーはもちろん、同チームメイトへの指針としても生きることとなる。それはルーキーから頼れるベテラン選手へと進化を遂げる時でもあった。「海外でワンシーズを過ごし自信を得た時、アジアリーグの強豪である東北フリーブレイズから移籍のオファーを受けました。もう少し海外でやってみたいという思いもありましたが、この経験を日本で活かしたいという考えから移籍&復帰を決意。日本でのアイスホッケーをもっと盛り上げていきたいという想いもあり、東北フリーブレイズへお世話になることを決めました」

東北フリーブレイズ移籍後、同チームのキャプテンとなったが、選手としてチームをまとめる難しさについて聞いてみると、「2011-12シーズンが一番印象的なシーズンですね。実際この年はプレーオフにも進出できなかったダメダメのシーズンだったのですが、このシーズンがあったからこそ、キャプテンとしての自分の責任を感じることが出来たと思っています。その理由は、前シーズンは移籍後初、しかもキャプテンとしても初めてのシーズンを迎える中、順調に勝利を重ねていたのですが、東日本大震災の影響で決勝戦が行われず他チームとの同時優勝となりました。この戦力であれば、次のシーズンこそ単独優勝と簡単に考えていたのですが結果がなかなか付いてこない時期が続きました。今まで感じなかったキャプテンとしての責任に押しつぶされそうになった時、ある先輩から『お前はカッコつけ過ぎ。自分一人で悩むのではなくカッコ悪くても相談しろ!』と言われ目が覚めました。一人で抱え込むのではなくチームメイトや監督・コーチとじっくりと話をすることで気持ちが楽になり、自然とコミュニケーションも増え良い環境を創ることができるようになりました。しかし時すでに遅く結果は最悪。但し、この2011-12シーズンの失敗があったからこそ、次シーズンの単独優勝という結果が付いてきたと思っています」自分から積極的にコミュニケーションを取って問題を解決していく。この精神は日本代表キャプテンとしても活かされていている。一選手からチームをまとめるキャプテンとしての成長を実感し自覚することができた。